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ハルナログものがたり

厳しかった父の教え

幼少時

私は昭和46年、北群馬郡吉岡町に生まれました。
両親と祖父母、3歳下の弟の大輔(ハルナログ工房の施工担当です)との6人家族で、田んぼや畑に囲まれたのんびりとした環境に育ちました。

やんちゃな兄弟で、けんかもよくしました。叱られるときは決まって父に正座をさせられました。朝、父と約束した時間に起きられなかった時に、大切にしていたプラモデルを捨てられて大泣きしたこともあります。

父はいつも私たちに3つのことを守るように言っていました。
「嘘をつくな!」「約束を守れ!」「泣き虫するな!」
しつけには厳しい父でしたが、私が中学2年の秋、くも膜下出血で突然この世から去ってしまいました。私もまだ子どもだったし、厳しいけれど大好きだった父との別れ、大切な家族が急にいなくなる、二度と会えなくなるという現実を、なかなか受け入れることができませんでした。
そこで心を入れかえて、勉強に部活にと頑張ればよかったのかもしれませんが、父という重しをなくした私は、中学・高校とほとんど勉強せず、部活のサッカーに明け暮れました。

北海道時代

高校卒業後の進路を決めなければいけない時期になりました。
勉強はちっとも好きじゃない私が進路として選んだのは酪農です。子どもの頃に見たドラマ『北の国から』の世界に憧れていたから酪農にしたんだろうなと今は思います。北海道・札幌にある専門学校に進学することにしました。

北の大地での素晴らしい生活を夢見ていたのですが、授業では体力勝負でもある牛や羊の世話をして、学校が終わればアルバイトで生活費を稼ぐという生活はキツかったです。どうにか家畜人工授精士の資格を取ることはできましたが、わりと早い段階で思い描いていた理想とは何かが違うと思いはじめました。
そんな時、海外に留学していた友人から連絡が来ました。理想と現実とのギャップにモヤモヤしていた私は、海外に行ってみたい!と強く惹かれるようになりました。

海外に行けば何とかなる!

海外に行きたい!と思い始めたら、もうそれしか考えられなくなって、アルバイトをしまくって必死でお金を貯めました。
オーストラリアに渡ったのは1991年の夏、20歳の時です。
スポーツ大好きな私にとってオーストラリアは、おもしろいことだらけ。寒い北海道から一変して、開放的な南国の生活はとても刺激的でした。すっかり海外に魅了された私は、他の国も見てみたいと思い、次はカナダへ行くことにしました。

カナダを選んだ理由は単純で、正直に言えば、当時はまっていたスノーボードをもっとやりたかったからです。海外で生活していたなんてすごいですねとお客様には言われますが、自由でいたかっただけだと思います。
日本食レストランでアルバイトをしながら、スノーボードに没頭しました。サッカーばかりしていた中学・高校時代とほとんど変わらず、スポーツに明け暮れる日々です(笑)。

ですが、そんな楽しい生活にも、だんだんと疑問を感じるようになりました。
20代半ばにさしかかろうというのに、将来が何も見えないのはヤバいなと、急に焦りが出てきたんです。
オーストラリアでもカナダでも、結局仕事はレストランでアルバイト。英語もろくに話せない私が働ける場所なんて限られています。そんな時にアルバイト先の店長に、「人手が足りないから永住権を取って働かない?」と誘われました。これはいい話だと思い永住権を取得したのですが、レストランが経営不振。店長の夜逃げまで手伝わされ、私は仕事先を失ってしまいました。

アラスカへの一人旅

いよいよ行き詰まった私は、アラスカへいわゆる自分探しの旅へ出ました。

自分探しなんて言えばかっこいいのですが、未来に対して不安しかなかった26歳の私は、これからどうしていいのかも分からず、ただ現実から逃げたかっただけでした。

人生を変える出会いはアラスカで

初めて訪れたアラスカで、私は運命の出会いをします。
それは太い木材でつくられたログハウスや建物でした。北の極寒に立ち、長い年月、人々の暮らしを支えてきた建物は、素朴な雰囲気ですが、それがかえって媚びた感じがなく好感が持てました。
憧れだけで海外に来て、チャラチャラと好き勝手に過ごしていただけの自分からしたら、堂々としていてかっこよく見えたんです。

ログハウスにどうしてそこまで感動できたのかと言われたら、説明するのは難しいですが、今まで自分に欠けていた本質的なところに響くものがあり、「こんな建物を建ててみたい!」と強く感じました。
それまでまったく建築の経験などない私でしたが、なぜか天職にめぐり合えた気になりました。遊びではなく本当に自分がやりたい仕事、人の人生を支える仕事、“生きること”に結びつく仕事だと心の底から思ったのです。

意を決した私は建築の道に進むことにしました。
ログビルディング界の神様と呼ばれるB・アラン・マッキー氏が、カナダでログスクールを開いていたのでそこに入り、毎日朝から晩までチェンソーで材木を加工しました。しかしログスクールは短期間です。基礎を学んで卒業後が本当の勝負でした。

カナディアンと加工場

ログスクールとつながりがある会社に働かせてもらえるように頼み込み、「仕事を教えるこちらが給料をもらいたいくらいだ」と言われましたが、なんとかお願いして働かせてもらいました。
ベテランのカナディアンログビルダーの中に初心者のアジア人が一人です。最初から浮いていることは分かっていたので、とにかく早く技術を身につけようと必死に働き、4~5年後には一人前のログビルダーとして認めてもらえるようになりました。

ログハウス建築風景

でも結局のところ、私は周りに恵まれたと思います。周りに支えてもらったから働くことができ、その頃に妻とも知り合い(伊勢育ちの日本人です)、結婚して長男が生まれました。

長男誕生

このままカナダでログビルダーとして働き続けると思っていましたが、長男が生まれてから、いろいろと考えることが多くなりました。
自分が父親になり、改めて亡くなった父の教えを思い出すと、日本人特有の思いやりや謙虚な気持ち、誠実さにつながるものがあると思いました。そして父との思い出は、故郷の田んぼの風景や群馬の名物である焼きまんじゅうの味と共にありました。

息子がこのまま海外で育って、日本を知ることなく大人になってもいいのかなと思った時、私は自分に驚きました。今まで思いもしなかった感情だったからです。
心は決まりました。
「群馬に帰ろう!」
群馬を離れてから、16年が経っていました。

日本の山並みの美しさに感動して

帰国後、日本で長年大工や家具製作の仕事に携わってきた弟・大輔と、群馬の気候・風土に合った家をつくるために、NPO法人ハルナログ工房を立ち上げました。2007年のことです。
どこかの工務店に就職しようとは思いませんでした。大工修行を何年も積んでという王道を歩んでこなかったので、工務店はこうでなければいけないという概念もなかったです。お客様にご満足いただくために、自分たちが納得できる家をつくりたいという気持ちでした。

その後、娘が2人生まれて家族が5人に。にぎやかになりましたが、何のつてもなかったので仕事はなかなか軌道に乗りませんでした。
最初に自分たち家族のために家を建て、知人の家を建てましたが、新規のお客様には恵まれなかったので、しばらくはアルバイトで生計を立てていました。
道路の舗装のアルバイトをしていたのですが、夏場のアスファルトは100℃以上に熱されます。そんな状況での重労働なので、すぐに脱水症状になり、立っているだけでクラクラしました。

自分の理想の家を建てたいと思いながらも、そうなっていない現実。情けないという気持ちでいっぱいでしたが、「ここで弱音を吐いては、本物の家づくりなんてできない」と歯をくいしばりました。
だから新規のお客様に一棟目をご依頼いただいた時は、本当に、本当に嬉しかったです。

榛名山

帰国した日、成田から電車に揺られ群馬の山並みを見た時に、すごくきれいだと感じたのを今でも覚えています。
カナダでは針葉樹が大半を占めていて、日本のように葉っぱが生い茂っている感じとは違うんです。針葉樹には針葉樹の魅力がありますが、日本の山並みは柔らかい印象で安らぎます。海外生活を経験することで、改めて日本の良さに気付いた私は、日本の自然を守り育てていきたいと強く思いました。

地元の木材

また、実際に家を建ててみると、海外と同じように建てるだけではダメで、群馬の気候や風土に合う家にするためには、その地で育った材木を使うのが一番だとも感じました。

じっくりと自然乾燥

ハルナログ工房が加工場を持ち、自分たちで製材し、約3年間じっくりと自然乾燥させた木材を使っているのはそのためです。
特に吾妻という寒暖差の激しい場所で育った木は、年輪がぎゅっと詰まって堅く丈夫です。こうした地元の木を使うことが、衰退する林業の活性化や、群馬の山の環境保全にも役立つと考えています。

自慢のわが家を見てください

自宅兼モデルハウス

ログハウスというと、『アルプスの少女ハイジ』でハイジが住んでいたような太い木材を使った丸太小屋を想像されるかもしれませんが、ハルナログ工房の家は、丸太小屋とは少し違います。ログハウス風住宅といえばいいのか、洋風の日本家屋といえばいいのか、自分でも表現に困るので、ぜひ一度見ていただきたいです!

ハルナログ工房の家は、カナダやアラスカの地で出会ったログハウスや建物と同じように時代に軽く流されず、付き合うほどに味が出てくる無垢の家ですが、太い柱や梁が見えるという、日本の伝統的な家にはよく見られた真壁(しんかべ)で、日本家屋の趣も感じます。
地元の木をたくさん使っていることもあり、ハルナログ工房という社名につけた榛名山にも違和感なくなじみます。

近年問題視されているシックハウスとも無縁で、気持ち良く暮らせることができます。
ビニールクロスや合板でお化粧された家は、完成したときが一番きれいで、あとは経年劣化していくばかりですが、本物の木の家は時が経つにつれてその良さや味わいが増していきます。例えるならだんだんと体になじんでいくジーンズのような感じです。

お客様にはわが家を見ていただきます。
2005年の帰国後すぐに建てたので、10年以上経ちました。使い込むことで独特のツヤや色の深みが出た柱や無垢のフローリングを見て、触ってください。一般的な展示場のように完成してすぐのピカピカの状態ではなく、実際に暮らすとどうなるのかを見てもらえます。

家が仕上がりに近づき、お客様が喜ばれている姿を見た時や、
「家ができて嬉しいけど、馬場さんに会えなくなっちゃうね」
という言葉を頂けた時、この仕事をしていて本当に良かったと心から思います。
「薪の情報を教えて」
「雪が降りすぎて家から出られないから助けて」
「水道が凍っちゃったから来て」
など、遠慮なく言っていただけるのは、お客様との信頼関係があってこそで、私の宝だと思っています。

私にとって一番大切なことは、家族みんなが元気で仲良く暮らせることです。
そのためには、大切なお子様のために無垢の家で暮らしたいと願っていらっしゃる方、自分たちにとって快適な住まいをと願っていらっしゃる方に、決して嘘のない、正直な心で向き合うこと。
ハルナログ工房が考える、本物の家をご提供し続けることです。

そして、少しでも多くの方にハルナログ工房の家で、幸せな時間を過ごしていただくことが私の願いです。

ハルナログ工房
代表 馬場宏彦

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